RED SWAN

日常生活の呟きと旅日記 前のブログからの引っ越しなので、絵文字などが移行されず、昔の記事は抜けている物が有ります。

イタリア ポンペイ 2

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  お待たせしました。
  ポンペイの道路はこのようになっておりました。
  左右の高い部分が歩道(これは現代と変わらない)
  さて、今と根本的に何が違うかといいますと
  左右の歩道を歩けるのは市民。
  奴隷は真ん中の低い部分(つまり現代の車道)を歩くという
  ハッキリした身分社会だったわけです。
  だから道を渡るときも市民はこの高い部分を意地でも渡ったのか?
  それとも「今日は急いでいるの!」と車道を渡ったこともあったのか
  そこは微妙に謎ですが、とにかく奴隷は歩道は歩けなかった。
  この車道の幅を考えると 当時の馬車は、そう大きくなさそう。
  




  しかし、さすが時を止めていた街だけあって
  当時の馬車の車輪の轍がガッツリ残ってる!
  当時の馬車の車輪って何で作って居たんだろう?
  エジプト王朝記に鉄は作られてるんだから 車輪は鉄?
  ローマとかでガツガツ戦争もあったんだから
  鉄器は当然あったよね。
  まさか木製車輪じゃないねぇ?
  ポンペイの車道で写真を撮りながら(つまり 私は奴隷)
  そんな事をツラツラと考える。




  旅行前にガイドブックを見ていたら
  「ポンペイ観光は暑さと日除け対策をして行け!」とあった。
  理由は火山灰に埋もれていた街なので 大きな建物が少なく
  日陰がほとんどない!…というわけなのだ。
  そしてそれは本当だった。
  基本 日陰はない。
  でも日陰を求めている暇はなかったな(あちこち見るのに忙しい)
  私達はツアーだったので良くも悪くも時間制限があり
  ちょっと見たら「はい。では次に…」とサクサク進みますけど
  考えようによると迷うこと無く観光出来ているので
  最短最小の労力で遺跡内を巡りました。
  コレが個人旅行で行ったら…と考えるとちょっとゾッとします。
  遺跡の中はじっくり回ったら結構な広さだし 当然休憩するような
  店なんかはない(一旦 遺跡から出るしかないな)
  見終わった頃にはグッタリしてそう…。
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